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テロ報道の3つの見方
10/09/01@Tokyo

9月11日に起こった米国同時多発テロ、日本時間8日未明に始まった報復攻撃については、これまでに様々な報道がなされてますが、私なりの見方をちょっとまとめてみます。NYは、ほんの1年半前まで生活していた街ですから、その土地で起こった悲劇は何と言っても残念なのですが、
同時にこの事件は、コミュニケーションを専門にしている者にとって、
考える材料を数多く与えてくれるものなんです。


(1)テロには勝てない

現代の自爆テロは、神風特攻隊と違って、命を捧げることだけが
目的ではなく、メディアを通して、全世界に自分のメッセージを発信する一番効果的な手段ではないか、と私は思ってるんです。

まず、あれだけ大きな惨劇は、世界中のメディアの注目を集めずには
いられません。たとえその行為によって、相手側に強烈な憎悪を引き
起こしたとしても、「なぜそんな行為に及んだか」は、必ず報じられます。その、「なぜ」の部分を全世界に伝えてもらえるための、一番手っ取り早く、最もインパクトをもって伝えてくれる方法が、テロなのではないか、と。

2年ほど前、私はコロンビア大のジャーナリズムの授業で、国際会議の
時にデモをやる意味と効果、というのを学びました。デモとテロ、言葉が違うだけで、発想は同じなんですよね。

おびただしい数の人々がプラカードを掲げ、Tシャツにメッセージを
書き、シュプレヒコールを送る。場合によっては、機動隊と衝突する。
それをメディアが世界中に報じる。CNNは、現場レポートを送り、
NEWSWEEKはカバーページで決定的瞬間をとられた写真を掲載する。
その写真は、それが誰か、何のために、何をしようとしているかが一目で分かるようなものを使いますから、当事者のメッセージは、メディアという第三者の手によって、世界中に広められるわけです。ほとんど自動的に。

これを止める側は、それはもう難儀な話です。
大変手間のかかる説明をあちこちに向かってしなければならず、メッセージ発信の対象も内容も分散したものになりますから、たとえば今回の場合、なぜ攻撃するのか、いつ終わるのか、何をもって終わりとするのか、戦費の負担の話、経済に及ぼす影響の話、犠牲者の話、社会不安の払拭。説明することが多すぎて、メッセージがどんどん伝わりにくくなります。

これに対して、今回のテロのメッセージは「アメリカ憎し」。分かりやすい。なんで憎いのか、なんでそんなに憎いのか。それは自動的にメディアが伝えてくれます。報復攻撃がスタートした後、オサマ・ビン・ラディンのビデオが何の修正もなく何度も何度も流れていますよね。全世界が彼に注目していますからその伝播力は凄まじいでしょう。

そう考えると、メッセージを伝えるには、どれだけカメラの前で冷静に
説明しても、テロの衝撃力を超えられないと思うんです。たとえそれが倫理的におかしいと思っても、テレビを見ている人間は、次に起こるかもしれない、より大きな悲劇を、無意識のうちに期待しているようなことがきっとあると思うんです。


(2)泣かせる話をして欲しい

おそらく多くの日本人にとって、今回のテロ事件は、まったく他人事です。いろんな政治家や評論家がテレビに出てきて、毎日テロの話をしていますが、どうも自分の問題だと感じにくいんです。自分の問題として感じないと、それはもうテレビの中のエンターテイメントでしかないんですね。自分の生活とは関係のない架空の話に等しい。

ただ一人だけ、ある週末の番組で、「24人の日本人が殺されたんですよ」と言った人がいました。だから、日本に関係がある、という意味です。「いい言葉やな」と思いました。私にはこの一言が、とてもしっくり来たんです。問題はその後に、感動的な「お話」がなかったことです。

左脳優位の理屈ばっかり続くんです。憲法がどうで自衛隊をどうする、とか、日本としての支援がどうの、とか、やっぱり話が遠いんですよね。違う、と思うんですよ。これだけ情報があふれて何が現実でどの問題を真剣に考えなければならないかを伝えるためには、まず同じ「想い」やイメージを共有する必要があるんです。テレビでは論理より情動に訴えないと。

行方不明になった日本人24名の家族の中に、きっと幸せを絵に描いたような小さな子供のいる家庭があるはずです。その子供に、今夜、「なぜあなたのお父さんが家に帰ってこないのか」を説明する必要がある。今日の朝まで明るく微笑んでいてくれたお父さん。「一体どこに行ってしまったの?」 「いつ帰ってくるの?」 そんな純粋無垢な子供の問いに、向き合う自分の姿をイメージする。

そして、そんな場面が、明日、自分自身の家族に、本当に起きるかもしれない。これを一人でも多くの人にイメージさせることができて初めて、日本人はテロの問題と本当に向き合うことができるんじゃないでしょうか。


(3)日本にとってこのテロ問題は大した問題ではない

テロの後、ブッシュは「これは世界の平和に対する挑戦だ」と言い、英・仏・カナダも派兵を決めました。日本でも連日、政治家や評論家がテレビに出て、日本ができる国際貢献のあり方を論じ合ってます。特に湾岸戦争の時に顔が見えなかったと言われたのを気にしてか、小泉くんの鼻息は荒く、必死にアメリカ支持を訴え、自衛隊派遣の特別立法を急ぎ、中国に飛んで侵略の謝罪をしてまで周辺国の理解を得ようと躍起になっています。

でも、私は、それでも日本は、まだこのテロを本当に深刻な問題として
捉えてないんだと思ってるんです。

自衛隊が行く。後方支援をする。戦場には行かない。危険なことはしない。・・・今、法制化しようとしている取り決めでは、つまり、日本人が命をかけるほどの問題ではないと思ってるんですよね、この問題は。

9月は自衛隊の活動について、一通りの憲法解釈の議論に終始しました。そんなに日本にとって大事な問題なら、本当にこの問題が日本にとって今までの前提をまったく覆してしまうような大きな出来事なら、憲法解釈がどうのじゃなくて、憲法第九条を改正する手続きをすべきなんだろうと思うんです。国民の2/3が「うん」と言えばできるんですから。

それを「断固として戦う」と言ったり、「できる限りの支援を」と言ったり、「できることとできないことを見極めて」なんて言ったり、結局一連のプロセスを経て、「これはそこまで本気になるほどの問題でもない」と判断したんでしょうね。マスコミは指摘しないけど。

主要国は、アメリカに踊らされてますよね。早々派兵を決める国や支援を表明する国。でも、テロを許せない、とかテロを根絶するために、なんて言っても、報復攻撃で、テロがなくなるはずないじゃないですか、冷静に考えれば分かる。それでもアメリカに同調するのは、いろんな手を使って、アメリカに説得されてるからですよね。メディアからの情報量は圧倒的にアメリカの見方を伝えるものが多いし、そういう影響もあるのでしょう。

ブッシュ大統領の支持率は9割だそうです。あれくらい本気で国民を説得したら、日本の憲法もすぐに変わりそうですね。


 

小泉メルマガとレストランと伏魔殿と「味付け」
6/17/2001@tokyo

(1)小泉メルマガ話題のヒミツ

えらい話題ですね、小泉メルマガ。「137万部突破した」とか「面白い」とか、「あれはメルマガのベテランが書き方を指導しているハズだ」とか。そういう騒ぎが、なぜ起きるのかを考えるのが、私は大好きです。

総理大臣が出すメルマガは初めて、ということは理由の1つとしてあるでしょう。しかし何より私は、登場人物がすべて個人名で書いている、というところが一番アピール力があると思うんです。

創刊号の書き出しは、「らいおんはーとの小泉純一郎です。」となっています。これ、いままでの政府の発想だと、きっと
 「これは首相官邸発信の小泉内閣メールマガジンです。」
なんて書き出しで始まっているはず。で、もしそうなら、ここまで話題になることはなかったと思います。

一見、それほど違いが無いように思うかもしれませんが、
人気の秘密は、この個人の「味付け」にあると私は見ています。

今や一般的な情報は、どこにでもいくらでもあって、政治の話なら新聞とテレビを見ていれば、必要な話は大体入手できる。だから、「こんなことがありました」というファクトを知らせる情報メディアは今後、そんなにインパクトがない。

それが、「私はこう思う。それでこうした/こうする。」というその人の考え方やパーソナリティが出てきていると、一気に親近感が出ると思うんですよね。相手の名前と顔が分かって、テレビで見ててもナカナカ窺い知ることのできない考え方やら意見が伝わってくるなら、他のメディアではカバーできない特殊情報ですから。

もっと面白いのは、この小泉メルマガを無数の個人がメールで友達に
紹介していることです。皆さんも個人発行のメルマガやメーリングリストなどで、何度も見かけているんじゃないでしょうか。マーケティングの専門家はこれをバイラル・マーケティングとか、クチコミ効果なんて言うんでしょうが、ほとんどの人は、この、人から流れてくる「お薦め」でメルマガを登録しているような気がするんです。少なくとも、130万人もの人が、毎週、政治の情報を求めているとは思えない。

(2)小泉メルマガとレストラン

そういう意思決定の仕方というのは、レストランを選ぶ時とよく似ています。

誰かが「美味しかった」とか「いいよ、絶対オススメ」なんて言うのを聞いて予約する。(予約というのはメルマガの登録と一緒。←このメルマガが無理やり送られてきている人もいますけど、それは、まあまあ。)つまり意思決定は、行く前、試す前、食べる前です。

レストランって、面白いですよね。いたる所でクチコミ情報がやりとりされている。私も初めて行くレストランはほとんどインターネットで評判を調べてから予約します。まったくの他人に見せるために、自分の行ったレストランを評価して、メッセージを書く。それをまったくの他人が見て、どのレストランに行くか自分の中でイメージを膨らませて(一緒に行く友達と相談して)決定する。これはつまり、個人の感想を知りたい人と知らせたい人がうまくマッチングして意思決定がなされているわけで、レストランの名前と住所・電話番号だけの単純情報リスト(これはファクト)では、成立しにくいことなんです。

つまり、人がどう思った、とか、どう感じた、という「味付け」情報が、また人を大きく動かすんですねぇ。

(3)伏魔殿はどう進むべきか

まったく関係ありませんが、5月末にパフィン(海鳥)を見に、イギリスのウェールズに行ってきました。ペンギンみたいな姿をした鳥で、30cmくらい。実にかわいい。主にアイスランドに棲息するらしいのですが、ウェールズの島(自然保護区)でも見られるんです。チョーオススメ。

⇒ 私の見たパフィンはこちら

ついで、と言ってはなんですが、昔の同僚に挨拶を、と思いロンドンの
日本大使館にも足を運びました。また、日頃から外務省の関係者とは
会う機会も多く、機密費やら田中真紀子外相などの話を、何人もの人たちに聞いてみました。

立場に関係なく、面白いくらいにいろんな意見が出ます。

今、外務省は、大臣から「伏魔殿みたいなところだ」と言われて、
ネガティブなイメージがあります。田中大臣の後ろで通訳をしている
K井さんやS南さんの疲れた顔をニュースで見かけたら、
「やっぱり大変な職場なのね」とも思います。 (?)

しかし、その、今私に言ってくれた話(「味付け」情報)を、どんどん
個人名で外に出していったら、きっと外務省は伏魔殿なんて呼ばれ
ずに、もっと健全でオープンなイメージになれるんだろうと感じるんです。そんな個人の名前と声が、不自然なくらいに外に出てきていない。

公務員には守秘義務というのがあって、業務上知り得た機密情報は
口外しない、という決まりがあります。でも、感想はいいでしょう。

実際、外務省(だけじゃないけど)の若い世代は、ホームページを
開設したり、日記を公開したりしてるんです。もう個人の「思い」を
閉じ込めておける時代じゃない。

  ★あらゆる職業の人が日記を公開しています。
  日記才人(にっきサイト) http://www.nikki-site.com/

機密費はオープンにできないが、これだけの額を使って、こんな成果を
私たちのチームで出しました、というケースを何例か個人名で出したら、インパクトありますよ、絶対。

えひめ丸を沈没させたワドル元艦長は、CNNのLarry King Liveに
生出演して状況を説明していました。聞きたいと思いますよね。
そういう人の生の声を。

田中真紀子大臣が、いろんな所から文句を言われながらも
世論の支持を受けているのは、一人だけ個人の名前と顔が出て
自分の言葉で「味付け」してメッセージを発信するから、
孤軍奮闘して戦っている印象が出ているんだと思うんです。

「味付け」ですよ。違いが出るのは。


イベントの時に「動かない」愚
2/21/2001@tokyo

ホノルル沖の潜水艦事故と森首相のニュースを見ていて「ほう・れん・そう」という言葉を思い出しました。報告・連絡・相談。

これ、ビジネスの新人研修などでよく言われる言葉ですが、一国のリーダーや企業のトップでも同じことが言えると思うんです。つまり、総理大臣は国民にちゃんと報告せなあかん。

大きな事件事故が起こった時に、首相は現地に行って記者会見を開き、国民に(一応)ちゃんと報告しないとダメなんです。

特に多くのメディアが1つのニュースを報じる時には、国民も注目します。そんな時に全然関係のない所でゴルフしてるってそらアカンわ。

仮に他の仕事していたとしてもダメだと思うんです。国民の命が失われて、その場面が全国のテレビに映し出されている時に、国民の代表が大きなアクションを見せなければ、国民は信用しません。

昨年夏、ロシアの潜水艦クルスク号の沈没事故がありました。ロシアのプーチン大統領は、休暇中で、部下からの報告を受け、事故だから、軍が適切に処理する、という言葉を聞いて、現場に行きませんでした。国民はこの無神経さに腹を立て、支持率が
大きく下がったという報道が日本でもありました。

他国の例に、しかもわずか半年前のケースに、まったく学んでない。

菅直人もすぐに現地に乗り込めば、民主党の支持率も上がったかもしれないのに、動きませんでした。あとで森首相のミスを指摘するだけだと弱いんですよね。

別途、外務省の政務官(よく分からない役職)か誰かが行ったと聞きました。全く目立ちませんでした。理由は、「役割が与えられて」行ったからだと思うんです。

仕事で行ってもダメです。
「わざわざ出かけて」「一緒に涙を流せる人」が共感を集めるのだと思うんです。人道的なニュースの時は、特に点数稼ぐチャンスなのに。

「それじゃ、ただのパフォーマンスじゃないか」という意見もあると思います。その通り。しかし、もっと大切なのは、いざという時に、国民の代表として国民のために「動ける」かどうかです。たとえ心を痛めてたとしても、行動しない人の気持ちは伝わってこない。心より行動。心があれば尚良し。

それが、再三、女癖の悪さを露呈しながら、高支持率で任期を全うしたクリントン前米大統領との違いです。


政治広報的教訓: 大きなメディア・イベントがあったら、現場に行こう。


参考:ロシア潜水艦沈没事故とプーチン露大統領
参考ニュース1
参考ニュース2

 

「伝え方」の重要性
1/9/2001@tokyo

昨年の夏以降−そう雪印事件以降−広報マンにとっては面白い時代がやってきた、と思いました。だって、毎日誰かがテレビで謝っていたのですから。問題が起きて記者会見をする。会見では、謝罪が充分でないとか、適切な対応がとられていない等と判断されれば、続けて叩かれますから、企業も必死です。メッセージの発信にこれだけ気を遣った時期は今までになかったのではないか、と思うのです。

これまでは、「良いもの作ったら売れる」「ちゃんとやってたら理解してくれる」という考え方が一般的だったように思いますが、インターネットや衛星放送などの発達によって情報チャンネルが急激に増加し、「注目させる」ための競争が激化している昨今、やっている内容を「きちんと伝える」ことにも工夫が求められて来ていると思います。メディアも企業も政府も、そして、個人も。(ここに来て広報マン活躍のチャーンス!)

私は、仕事でいろんなスピーチを聞いたり、原稿を見たりしてきましたが、骨子や文面を直前まで散々議論しているにも関わらず、スピーチ全体のタイトルがついていなかったり、喋り方や表現方法が、ほとんど詰められていないという例を、数多く見てきました。喋ったらそれでええ、とそんな感じ。

喋ったら、あるいは文章で書いたら、それが全部伝わるか、といったらそんなことはありません。皆、分かっているはずです。

例えば新聞。見出し見て「おっ」と思わなければ、個別の記事は読まない人の方が多いのではないでしょうか。また多くの人は、きっと見出しもチラッとしか見てない。だから、見出しの読み違いをして、知らない間に勘違いして記憶に残っていることも案外多いのではないかと思うのです。

また、テレビは「見た目」が8割、「話」が2割なんて言う言い方があると聞いたことがあります。つまり口で喋っている内容が伝わるのが2割位で、残りは映像やと。

そんな記憶や認知の特性を知りながらも、スピーチする時には、表情とか服装とかジェスチャーとか、アイコンタクトとか声のトーンやスピードとか、そんなのに気を使ったり、指摘したりする人が、なぜか少ないのでしょうね。テレビドラマ見て、あの役者は下手やなぁ、なんてよく言うのに。

そういう観点で言うと、米大統領選挙はおもしろかった。ネクタイやスピーチライターがどうの、と言う時代は遠い昔で、今回の選挙では、「本気」を演出する時のジャケットを脱いでみせるタイミング、なんてのをCNNでまとめて放送したりしてました。

「見せかけだけ」なんて言葉があります。もちろん中身が重要であることに変わりはありません。ただ、中身は、うまく伝わって初めて評価されるのです。

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