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日本のニュース番組

クリントン大統領の告白ビデオ

コロンビアで習うアメリカの常識

プエルト・リコ人の嘆き

 

日本のニュース番組
(8/14/98@NY)

最近話題の毒物入りカレーのニュースを見ていて、「これはニュースやなくて、ワイドショーやな」と思いました。

アメリカではモニカ・ルインスキーと大統領のスキャンダルとナイロビとダル・エス・サラームで起きたアメリカ大使館の爆発テロ事件のニュースをずっとやっています。スキャンダルの方は、同じことを延々とやっていて、国民も私も、大概呆れて見ているのですが、日本のカレー・ニュースの方がもっとひどい。

あれはニュースじゃなくて、ワイドショーですよ。 報道が完全にバラエティになってしまってます。3分で伝えられる事実と経過の報道を15分のエンターテイメントにしてる。視聴者に関心を持たせて、カメラで現場の経過を辿り、可能性をいろいろ仄(ほの)めかせて、考えさせる。

ニュースは、視聴者を探偵にしなくていいんです。分かっている事実と結果を伝えれば。カレー事件の手口の説明と犯人探しを視聴者にさせて、一体どうするんでしょう。

その他にニュースはないんでしょうか。だとしたら本当に平和な国ですね。事件がない時には、ちょっとしっかりしたドキュメンタリー作って流すとか、世界の出来事を詳しく解説するとか、視聴者を教育するような、役に立つものを何かすればいいのに。

クリントン大統領の告白ビデオ
(8/22/98@NY)

み、見ましたか? クリントン大統領のビデオ放送。見てる方もどきどきしましたねぇ。これほどTVに釘付けになったのは、数年前のダイアナ元妃のBBCインタビュー以来でした。

大統領は黒の背広に白のYシャツ、紺のネクタイをして、1カットのカメラ撮りで、カメラを見つめたまま話していました。紙みたりせずに。最近は、カメラの周りにセリフが出るシステムがあるから、たぶんそれを
使ってるんだと思うけど、落ち着いた部屋の様子や薄明るくて落ち着きのあるライティングで、視覚的にも視聴者に与える影響を考慮した、非常に計算されたビデオだったと思います。きっと何回も撮り直したに違いない。

始めに関係を認めて、後悔の念を表したあと、でもそれは私生活の一部でマスコミの執拗な攻撃に対しては耐えられないと怒り、アメリカ人の最も共感する「家族の絆」を前面に押し出すことで同情を買おうという内容でした。キリスト教の国なので、「人間は完璧じゃない」「許す事も必要」という国民性でもあり、これは結構うまいこと逃げられるかもしれない、というのがリアルタイムで見ていた時の感想でした。

予想通り、 テレビ放映直後の国民の意見は、割と好意的なものが多かったんです。「モラルが欠如しているとは思うけど、大統領としての手腕は認める」という意見が多かった。一週間たって、ちょっと様子が変わってきましたけどね。

ビデオ放送後の先週、大統領は、誕生日ともあって、「家族と過ごす」休暇をとりました。仕事してても矢面に立たされるだけだし、愚かな行為だったと反省して、何より家族を大事にする、というポーズの意味でも、休暇をとるのがよかったのでしょう。日本だと「平日に何休んでるねん」と怒られるんでしょうが、アメリカはテロがあっても、こういう場合は家族が優先です。

マーケティング・リサーチをきっちりやって、世論の動向を毎日注意深く見ながら、国民に気に入られる政策を行ってきたとされるクリントン大統領は、大統領としては立派だと思うけど、どこかちょっと抜けてる、というのが私の周りのアメリカ人の評価です。「女の趣味悪いわ」というのは女性評。

コロンビアで習うアメリカの常識
(11/23/98@NY)

1)いかに屁理屈が言えるか

アメリカは、どれだけ「けったいな理屈を正当化できるか」が求められる国です。答えの数字よりも論理の課程が重視されているとも言えるでしょうか。答えがあっていても、説明がないと点をくれない先生もいます。

このせいか、「そんなもんアメリカでしか、通用せんやろう」という理屈が発展して、ノーベル賞をとってしまう人も出てくるわけです。平均的な粒揃いより、全体としては、ばらつきが有っても、時にけったいな発想のできる一人の人間を求めている社会、というように思いますね。

今でこそ冷静沈着でムダ口をたたかない私ですが、かつては屁理屈大臣として恐れられていましたからね(誰に?)。そろそろ出番かな、と。(?)


2)国際交流のためにアイ・コンタクトを覚えましょう

私は集中力のない人です。代わりに分散力がある。
多方向にアンテナを出しているという意味では、よいのですが、人と話をしてる最中には、悪影響が出ると知りました。

アメリカでは、人と話をしている最中に、視線をそらすと嫌われます。学校でも、プレゼンテーションなどで、アイコンタクトの指導まで行われているくらいです。それが私はどうも、キョロキョロしながら話をしてしまう。

また、逆に、時々、話をしてる人に挨拶をしたくて、話相手の後ろから手を振っても、気付かれないことがあって、「不自然なまでの集中の仕方やな、こっちに失礼やないか」と思ったこともありましたが、熾烈な競争社会アメリカでは、ああでなければ生き残れないのです。

話している最中には、ですから、視線はそのまま、動かさないことです。話が終わるまで決して、目線をそらしたりしてはいけませんよ、決して。
失礼にあたりますからね。

日本にも似たような文化がありますね、そういえば。
「(目を)放すと負けよ、あっぷっぷ」

プエルト・リコ人の嘆き
(11/30/98@NY)

プエルト・リコ人の友人は、プエルト・リコの独立について聞くと、非常に熱心に語ってくれます。問題は、アメリカ本土で決定した法律がプエルト・リコでも有効なのに、プエルト・リコで決定した法律は、本土で意味を持たないことだ、とか、観光を大型産業にできる土壌があるのに、例えば日本企業からの出資を要請すると、アメリカ政府が嫌がるから日本企業は投資しない、とか。教育水準も高いし、観光も伸びてるし、問題はないにも関わらず、これ以上独立の動きが活発化するのを嫌がって、政府はプエルト・リコを援助するあらゆる動きに難色を示している、と言います。

ラテン音楽やってても、ディスコでサルサ踊ってても、知らなかった。

しかし、こういうのは、知ってる人が、やはりどんどん外向きに発言していかないと、ホントにだめですね。今、国際政治の必修コースの文献で、世論がアメリカの外交政策に及ぼす関係について書かれた本を読んでいるのですが、これによると、外交政策みたい
な、一般庶民の日常生活に直接関係のないものは、一般人は、大して興味を示さない。そりゃあ、一般家庭においては、外交政策より「どこのスーパーで卵が安いか」の方が日常差し迫った情報ですからね。

そういったものは、一部の「エリート」と言う専門家が、噛み砕いて、何がよくて何が悪いか、それによって、明日の夕食のおかずが、どういうふうに影響を受けるか、ということをメディアを通じて説明することで、世論の形成が行われる、というのです。 (だから、日曜朝の政治解説番組の影響力は大きい) よって、キーは、専門家の発言。

[メディアがニュースをカバーする場合には、いろんな基準が、またあるわけ(事故の場合は死者が何名以上の場合、とか、飛行機事故なら必ずとか)ですが、メディアが、「よし、取り上げよう」と自信を持つのは、実際、専門家がその事実を、どう噛み砕いて、意味付けて説明するか、に大きく頼っているというのです。(心理学的にも、権威によって、説得効果が高
まることが分かっています) ]

と、いうわけで、(いや、接続詞がおかしいな) ところで、どなたか、よく知っておられる方、どの事件が、円安に繋がるか、どうか私に説明してください。そろそろまた授業料の請求が・・・・

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