歴史は政治で作られる
(5/3/2000@NY)
英語に、メモリー・ポリティクス(Memory Politics)という言葉があります。直訳したら、記憶の政治とでもなるのでしょうが、これ、歴史のことを指します。つまり、歴史は政治です。
なんでか。民族紛争は、先祖の恨みに端を発するものが多く、つまり現代の人々が、経験していないことを理由に戦っています。昔の話を引っ張り出してきて、「忘れたらあかん」と指導者が煽り、ナショナリズム感情を高揚させて、「敵」に挑んで行くという仕組みです。これによって、自分の民族をまとめ、自らの指導者としての地位を確立します。最近のジンバブエの白人迫害を、黒人支持をとりつけるための大統領の選挙対策として考えると理解しやすいかと思います。
これは、つまり、「こっち」と「あっち」で歴史の解釈が違うことを示しています。同じ「歴史」を共有していたら喧嘩しません。(恋愛といっしょや)
人間行動学的に考えると、歴史学者などが主張する「事実」(被害者数などの数値: Fact)より「印象・記憶」(Public Memory)の方が大きな意味を持ちますから、「解釈」は大事。つまりは歴史にも広報が重要なコンセプトであることが分かります。
日本の学校で習う歴史は、教科書発行時の検閲が厳しく、解釈を固定されているために、国民はかえってこのことに気付きにくくなっています。しかし、情報鎖国の時代にはよくても、インターネット時代は、これではダメです。
例えば、アメリカでは、原爆投下は正しかった、という議論があります。日本の学校ではあまり突っ込んでやりませんが、今はこれ、インターネットで徹底討論ができる。(一度探してみてください。多くを学べます。)
そこでは、戦時戦前の日本軍がいかにひどい事をしたか、散々聞かされます。
宣戦布告なき真珠湾攻撃は言い逃れのできないルール違反だと言われます。原爆落としたから、陸上戦になった際の被害を食い止めることができたと主張されます。
こういう意見をどう捉えて、何を言うべきかを考える機会が日本では圧倒的に少ない。学校では習わない。調べようと思っても、政府資料もあまり公開されていません。だから、きちんと意見を戦わせて、将来に役立つアイデアを導き出すことが日本人には難しい。
これに対して、アメリカ政府の資料は、極秘モノでも30年くらいしたら、大体公開されますから、当時の議論が事細かく分かります。裏も表も見えますから、失敗や時代の変化に政策を変えて行くことができる。
歴史には、様々な解釈と議論があります。いろんな角度から一つの事象を考えてみて初めて歴史から教訓を得られ、その経験を活かすことができるのではないでしょうか。それはつまり、政府が過去の具体的事象についての情報発信(公開はもちろん)を積極的に行っていく(広報だ)ことが、逆に国民一人一人に有益であることを示しているのだと思います。
(この観点から、何か事件が起こる度に、しつこいくらいにリマインドする必要もあると言えます。「それは決着している」だけでは弱い。)
今学期、アメリカの日本占領政策についてまとめていて、あまりに日本人による日本語の内部文書がないことに落胆し、そんなことを考えました。
全然関係ありませんが、アメリカの外交文書を読んでいると、アジアを極東(Far East)という言葉でまとめていることが多いのですが、私、この「極東」をそのまま日本語に訳している文書を見る度に、「日本の地図見たら、アメリカの方が極東やのに、なぜ日本語で極東と訳すのか」と不思議に思います。
紛らわしいので、(百歩譲って)ヨーロッパ地図を国際基準に考え、日本が極東ならアメリカを極西と呼ぼう!と世界に提案してみてもいいのではないか、と思ってしまいました。 ?
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