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日常の部

NY編

 

シルビア、メキシコ人に奪われる

私が新しい日本です

世界の車窓から「今週はニューヨーク」

年末ニューヨーク日本人の風景

 

シルビア、メキシコ人に奪われる

シルビアはメキシコ人の女の子です。先日、ラテンアメリカ協会主催のラテン・ディスコ・パーティがあったので、シルビアと一緒に行きました。

シルビアはフラメンコを習ってる、踊りが大好きな人なので、きっと手取り足取り踊りを教えてくれるだろうと期待していました。

なのに、シルビアは、メレンゲを一緒に踊ってる最中に、見知らぬメキシコ人が来て、5単語くらいスペイン語で声をかけられ、さらわれていってしまっ たんです。ラテンの国では、踊りができる人は、偉くてモテるんです。大阪で、話が面白い人がモテるのと一緒。

さて、さわられたシルビアは、そのまたメキシコ人に、メレンゲにのって、ぐるぐる回されながら、幸せそうな顔をしていました。その顔をみて、何故か、よく日本の居酒屋の店先にかかっている「世界人類が平和で
ありますように」という看板を思い出して、心安らかな気持ちになりました。

くそー。

(10/16/98@NY)

私が新しい日本です

外国にいると、いろんな場面で「日本代表」にさせられる機会があります。飛行機に乗って隣の人から日本のことを聞かれる場合や、日本人が自分しかいない授業で、日本の現状を説明する場合などが主にその例ですが、先日も、またいきなり日本代表にさせられてしまいました。

とある講義のあとの食事会で、かのジェラルド・カーティス先生の向かいに座ったんです。で、話の中で、「君はそういえば、前は大使館にいたんだよね、でも今は外務省とはもう関係ないんでしょう?」と聞かれました。

一瞬、『外務省にもつるつる通信が配信されてるんやけどなぁ』と思いつつ、「ええ、まぁ今は自由人です」と答えたところ、

「これが、新しい日本ですよ」

とその場におられた方々に、こう、手を広げて紹介してくれたわけです。

私はどういうことか訳が分からず、しかしまぁ、日本代表も悪くないかな、等と思い、一息ついて、「初めまして、新しい日本です。」と挨拶をし、それからすっかり新しい日本気分です。

それ以来、日本関係の新聞記事には以前以上に敏感に反応するようになり、自分のことが書かれているようで、気になっていろいろ勉強するようにもなりました。新しい日本になって、このような自覚と責任感が生まれたわけです。ありがとう、カーティス先生。

(11/07/98@NY)

世界の車窓から「今週はニューヨーク」

ニューヨークの地下鉄は、混む、なんていっても知れています。スターバックスのコーヒー持って乗りこむ人もいるし、新聞も広げて読めるんですから。

普段は、ね。

それが先日、ラッシュ・アワーに電車が普通通り来なくて、本数の少ない各停(あれ、「各停」という言葉が、辞書にない(笑))に皆が乗りこみ、そうですね、南海高野線・堺東駅で難波行き区間急行に8時半頃乗るような感じだったでしょうか。いや、つまり相当の混雑だったんです。

おもしろかったのは、それだけ皆「遅刻する」と焦っていても、人の背中を押してまで乗ろうとする人が少なかったことです。ある女性は、「もう少しつめてちょうだい。」と大声をあげ、中から皆が一斉に「無理や」と返すと、「そこにスペースあるじゃない、ここから見えるのよ」なんて言ってる。

「スペースは、自分で作るもんやで、姉さん」等と思わず言いかけてしまいましたが、押し込まれると、自分が被害を被るので、黙っていました。

何かその、大雪が降った時の、東京の街の様子をニュースで見ている様な、そんな感じがして、「日本人は、こういう時、強いのだ」なんて一人でほくそ笑んでしまいました。

そんな私は、満員電車がゴキブリと同じくらい嫌いで、それが理由で海外に住んでいるといっても過言ではありません。(ロンドンでもニューヨークでも、徒歩通勤・徒歩通学なのだ。えっへん)

素朴な疑問: ニューヨークの地下鉄が、地下鉄日比谷線くらい混むと、やっぱり人権団体が、運動を起こしたりするのかなぁ。

 

年末ニューヨーク日本人の風景

時々、思いついたように日本の本を読みたくなって、紀伊国屋書店に行きます。当たり前かも知れませんが、店内は、日本人、多いですね。すれ違う人の9割以上が日本人なのですから、銀座の三越なんかよりもずっと純度が高い。ニューヨークなのに。

で、ホリデーですからね、家族連れが多い。これが見ていてまた飽きないんです。面白いのは、どこの家庭にも共通点があるんですね。子供はハッピー。大人は疲れてる。どこの家庭でもそうと違いますか?子供が人生の切なさを感じて暗い顔して、親が浮かれてるところは少ないでしょう。

それにしても、子供は何でも歌にしますよ。たまたまBGMでオペラがかかっていると、「ははははは〜(音階チューニングか?)、今日はぁ〜、なんたらの〜、どれそれを〜、発見した〜ぞ〜、ああ〜、うれしい、うれしい、うれしいなぁ〜」 と、オペラ調に気持ちを表現する。

こういうのを聞いてると、歌というのは、もともと感情表現のためにあったものだと考えさせられます。

まぁ、子供の即興的な歌は、結構、単調なのですが、よく聞いていると「ボインは〜、おとうちゃんだけのためにあるんや、ないんや、でぇ〜」と歌った月亭歌朝や、原田伸郎が昔、木魚をたたきながらやっていた、「魚屋の、おっさんが、屁をこいた、ブリッ」なんていうのに通じるものがあり、なんともホノボノとした気持ちになってしまいました。

・・・と、いうところで、その子のお父さん、いきなり子供の手を引いて、「いい加減にしなさい」と皆の前で言った。その一言で、子供はしゅん、となってしまう。

それを見ていた私は胸の中で、「ちゃうちゃう、そこで、大きな声で場内のみんなに向かって、「失礼しましたー」って言うてお辞儀したら、ええねん。ほしたら、拍手もらって帰れるんやで」などと考えてしまうのでした。

客の気持ち、置いてきぼりにして、どないするのんな。皆楽しんでるのに。このお父さんは、絶対、子供の才能を台無しにしてるわ。

(12/29/98@NY)

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