10人のパレスチナ人ジャーナリスト (11/7/98)
10月20日、国連とコロンビア大の共同プログラムで、10人のパレスチナ人ジャーナリストが招かれ、パレスチナ及びイスラエルにおける報道の現状を質疑応答形式で話すという会があり、中間試験の合間にちょこっと顔を出して、聞いて来ました。
彼らは、いわゆる「言論の自由」が保障されていない、ということを切に訴えるんです。自分の書いた文書が世間に出るまでにイスラエル政府(「軍」という言い方をしていた)の検閲を受け、アラビア語の文書がヘブライ語になって返ってきて、それをまたアラビア語に翻訳してからでないと発行できない、とか。エルサレムで取材活動をするために、プレスのパスを何年もかかって取得する必要がある、とか。ジャーナリストとしての活動で、何年も留置された仲間が大勢いる、とか。私の同僚がこの前イスラエル兵に銃で撃たれ、今も瀕死の状態にある、とか。
どれも強烈な文句ばかりでした。私もイスラエルに行ったことがあるし、イスラエル人の知人がパレスチナ人の自爆テロで亡くなったとも聞いているので、そんな話もかなり現実味がありました。
そんな厳しい現実の話をしていた時に、サッと学生が一人手を挙げて発言したんです。「私はこの夏にガザで記者のインターンをしたので現状についてはよくわかるつもりです。あなた方の話は、現状については細かく説明されてよく分かりますが、じゃあ、どうすれば改善されると思っているか、全然伝わってきません。」
30歳前のコロンビア・ジャーナリズム・スクール女子学生のこの一言でジャーナリスト(聴衆もマスコミ関係者が多い)同士の激しいディベートが始まりました。
「アメリカ人のジャーナリストはガザにオフィスをおいていても全然いない」「彼らはイスラエル人側ばかりをカバーしている」「ガザの話は時々電話で聞くだけだ」「ジャーナリスト同士の接触は?」「イスラエル人ともアメリカ人ともうまくやってる」「彼らを通じて、もっと国際世論に働きかけるべきでは?」「彼らの本社の関心はイスラエル側にあって我が方には向いてない」「人々が知らない重要なニュースをレポートするのがジャーナリストの本分では?」「検閲などの厳しい規制で我々には手段がない」「今ここで新しい関係を作ったらいいじゃないか」「じゃあ、君に名刺を渡すよ。アメリカの窓口になってくれ」
何十年もジャーナリストをやっている人々が、ジャーナリストの卵たちに「君たちが次の時代のディシジョン・メーカーになるのだから」と言い、このように同じ目線で議論ができるというのは、大変素晴らしいことだと思い、レモネードを飲みながら、ふと、「これは記者の記者会見だ」などと訳のわからない事を思ったりしていました。コロンビアはやはりいい大学です。 (?)
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